エッセイ
きっかけ
平成27年7月1日掲載
中野 ゆき子
群馬大学大学院理工学府 理工学専攻
知能機械創製理工学教育プログラム
マテリアルシステム第1研究室(半谷研) 修士2年
この度は、第128回軽金属学会春期大会におきまして、優秀ポスター発表賞を頂きましたこと、大変嬉しく思っております。
エッセイというものは私には無縁だとずっと思っておりました。何故なら、私は子供のころから作文が苦手だったからです。作文というよりは、書き始めるきっかけ作りが苦手なのだと思います。よく母に作文の題材や文章を考えてもらいました。不思議なことに、題材が決まると400字詰作文用紙4枚というのはあっという間に埋まってしまいましたが。そういうことなので、題材の決まっていない今回のエッセイも、何を書いたらよいのやらと悩んでおりました。
最近は理系女子を増やそうという動きが盛んですので、私が材料の研究に興味を持ったきっかけを書いてみることにしました。そもそも私がなぜ機械科を目指したのか。その原点は、高校時代の私の興味と、母が連れて行ってくれたオープンキャンパスにありました。私の将来の夢はころころと変わりました。保育園児のころからの夢は看護婦さんになることで、その夢は中学生まで続きました。中学生のころ、救急救命訓練を受けました。そして救急救命士になりたいと思いました。高校生になり、あるドラマを見ていました。それは、旅客機のパイロットと航空整備士の物語でした。私はパイロットに憧れましたが、その夢を断念するのにそう時間はかかりませんでした。次に興味を持ったのは航空整備士でした。ですが、高校の進路指導の先生には「大学に行って航空整備士になるのはもったいない」と言われました。それでも私は空を飛ぶこと、空を飛ぶものへの憧れを忘れることはできませんでした。
私の母は、私が高校一年生の頃から色々な大学のオープンキャンパスへ連れて行ってくれました。医学部医学科、医学部看護科、理学部、工学部・・・私の興味のあるところには片っ端からついてきてくれました。三年間オープンキャンパスに行って、一番楽しかった研究室、それはまさに機械科の金属材料系でした。その頃はそんなことは意識していませんでしたが、今でも鮮明に覚えています。その研究室で実際に見せてくれたのは、引張試験と形状記憶合金でした。
そういった経緯があって私は機械科に入学しました。当初は機械科なら、航空機をつくることができる!程度にしか考えていませんでした。そのため、研究室選びでは色々と悩みましたが、オープンキャンパスで一番興味を惹かれただけあって、材料系の研究室に進むのも今思えば自然な流れだったのかもしれません。
ポーラスAlについての研究を初めて二年以上が経過しました。現在はポーラスAlに対する愛着を感じておりますし、この研究を行っていることを誇りに思っています。このような感情を抱くきかっけは、数多くの学会発表の経験だと思います。学会での質疑応答で、自分の研究に対する理解度を認識することが、愛着と誇りにつながったと思います。また、機械科で学ぶうちに多くの可能性を見た私は、航空機に限らず“動力で人の暮らしを豊かにする”“ものづくりで人を幸せにする”という夢を抱きました。そしてその思いを胸に、今後もエンジニアとして成長していきたいと思っております。
今は、この人生を歩むきっかけを与えてくれた母、そして研究の面白さを知るきっかけを与えて教えてくださった半谷禎彦先生に心から感謝しております。そして私も今後どのような人生を歩んでいくかはわかりませんが、生涯で一度でもいいから誰かに“きっかけ”を差し出すことのできる人になりたいと思っております。
最後になりますが、このようなエッセイを書く機会を与えてくださいました軽金属学会関係者様に御礼申し上げます。また、日頃よりご指導いただいている学科の先生方、半谷研究室の皆様、遠く北海道の地から心の支えとなってくれている家族に、心から感謝します。