エッセイ
ジョギングとマラソン
平成20年3月1日掲載
当摩 建
三菱アルミニウム株式会社
技術顧問
若い頃から朝のジョギングを日課にしています。先日の日曜日に「東京マラソン」をテレビで見ました。大都会の交通を一日遮断しての開催には賛否両論があるようですが、皇居前や銀座、浅草の街並みなどの名所で外国人を含むいろいろなランナーと沿道の大声援とで繰り広げられる、年に一度のお祭りは国際都市として大いに結構、と思います。一時のブームは過ぎて久しくなりますが、汗を流した後の爽快感やメタボリック対策、ダイエット効果などからか、最近、中高年ばかりでなく、若い女性などにも復活の兆しがあるようです。
箱根の麓、三島に住んでいます。山あり、河ありで、環境には恵まれていますが、起伏の激しい6キロの周回コースを早朝にひとりで黙々と、では長続きしません。同好の仲間と世間話をしながらの和やかなジョギングです。夏はすぐに汗びっしょり。冬は真っ暗な中、身を切る寒さで耳や鼻先が痛むこともあります。今年は氷点下5度を体験しました。
野山の景色はもちろん、気温や日の出時刻の変化など、季節の移ろいを身を以って感じることができます。春の桜、つつじ、木々の緑、晩秋には銀杏の黄葉と、街路の表情もなかなか豊かです。なかでも高台から冬に眺める朝焼けの富士山は絶景。「早起きは三文の徳」です。心身ともすっきりした後での朝食はまた格別。と、ここまではいいことずくめです。ところが、休日に距離を伸ばし、脚力に多少自信がつくと、一緒にレースへと話がまとまります。5キロ、10キロもありますが究極は42.195km。何度も挑戦しました。
目標はもちろん完走ですが、記録目標も持ちたくなるのが人情。「サブスリーランナー」は2時間台でゴールできる人のことで、市民ランナーの勲章です。背伸びしたねらいで途中の通過タイムを設定すると、もはや楽しいランニングではなく、ストップウォッチの数字を確認しながら時間との戦いになってしまいます。体は正直なもので、普段の練習距離までは割りと順調に行きますが、そこから先は地獄。走っているのか歩いているのかわからない夢遊病者に。
それに懲りて今度は本番の距離をこなして再挑戦。しかし、人の体は30キロがまともに走れる限度のようです。それを超えたころから、膝、ふくらはぎ、太ももなどあちこちで赤信号の前触れ。危機状態の体をだましながらとにかく前へと何キロか行くと、今度は体全体の疲労が極限に達します。意識は朦朧、腰が落ち、表情が歪むのがわかります。あごが上がってきますが、普段のように引き戻す力はもうありません。もっとも、ここまで来ると回りの人も大同小異です。あとは「とにかくゴールへ」の気力の強さの違いで抜いたり、抜かれたり、ということになります。走り終えた後には達成感どころか、「こんな苦しみは今回限り」と毎回のように思います。それでも、何日かするとすっかり忘れてまた次回を決意してしまうから不思議です。
全力を尽くしても3時間の壁はわれわれの前に大きく立ちはだかります。実際、私も初め5分以上オーバー。二回目の善戦も30秒ほど及ばず、三度目にようやく乗り越えることができました。しかし、体力と精神力の限界と戦うような運動はどう考えても体に良いわけはありません。記録との真剣勝負はもう昔の話になり、長いのは程々にして健康第一に切り替えています。とはいえ、普段とは違う角度からの東京見物をぜひということで去年、今年と応募したのですが、いずれも抽選に漏れ、テレビ観戦となった次第です。来年の「三度目の正直」に期待するしかありません。
日頃、運動不足やストレスの蓄積は感じていませんか。軽いランニングは靴と運動着があればいつでも、どこでも、短時間ででき、終った後には心身ともにリフレッシュできるのは確かです。ダイエット効果云々とか難しいことは抜きにして、無理をせず、まず、歩くことから始めて、地元の四季を肌で味わってみませんか。