一般社団法人 軽金属学会

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エッセイ

FD雑感

平成20年1月1日掲載

池田 勝彦

関西大学
化学生命工学部
化学・物質工学科
教授

 
 「教育改善」という重いテーマにしていますが、著者が軽いので(見た目ではありません)、シリアスな内容にはならないと思っております。このようなテーマを設定してしまった経緯は、現在の大学での立場に起因していると思います。

 今年(2007年)の4月に工学部は3理工学部に改組し、現在は化学生命工学部 化学・物質工学科に所属していますが、工学部 材料工学科の時代に、日本技術者教育認定機構(JABEE)の認定審査を受審し、認定を頂戴いたしました。その折にJABEE受審対応委員の一員を勤めさせていただきました。本人は対応委員の末席に座っているつもりでしたが、受審プログラムとして材料分野では早かったことも幸いして(災いして?)、いろいろな学会から「受審体験記」のような講演依頼が多く学科にございまして、いつの間にかその対応委員になってしまっていました。講演会への露出度が多くなりますと、JABEEの専門家のようなラベルが貼られ、それがいつの間にか「ファカルティ・デベロップメント(FD)」の専門家へと変質し、本人の思いとは関係無く、そのような専門家の方向に流れてしまい、現在、関西大学の全学共通教育推進機構(全学の共通教育などについて検討している機関)に設置されておりますFD部門と授業評価部門の委員長という役職を勤めさせていただいております(本人の能力とは関係なしに)。
 JABEEの講演会などで発表いたしますと必ず質問という厄介な物がもれなく付いてきますので、その対策として私のような怠け者でも少しはFDや授業評価関連について勉強し始めました。最初は「FD????」で、何なのか?何をするのか?なぜ必要なのか?など分からないことばかりでした。最初に「『授業改善』を行うことだ」ということ、次に「それを組織的に行う」ことらしいということも徐々に分かってきました。でも授業改善を組織的にするという点については、何か違和感を持っていました。授業改善をするのは教員自身の努力に立脚していて、それを組織的にするということの意義を見出せない状況が続きました。このような講演会やFD関連の研修会などに出席いたしますと、他のご講演というのが非常にありがたく、私のような素人に非常に分かりやすい内容で、疑問点が氷解することが幾度となくありました。これでFDの意義について、「授業改善の方策・手段の共有化」が組織的取組の根底にあるのでは感じました。
 「『授業改善』という狭い意味でいいのか」という疑問が次に浮かんで参りまして、授業改善では「手段」・「方策」で教育内容については取り扱わなくていいのかという疑問が生じ、勝手に「FD = 教育改善」であるとして、素人でもできることはあるだろうという楽観的な姿勢でFDへの取組を考えさせていただいております。
 FDの取組は大学、短期大学でも推進されておられると思います。また、どの大学、短期大学にもその立役者となる先生がいらっしゃると思います。その先生方は必ず(ほとんどの場合)「私はFDの専門家ではなく、○○学部の教員です(私の専門は○○の□□よ!)」とおっしゃると思います。それらの先生がFDの立役者になられた経緯はいろいろな理由があるかと思いますが、その先生方はFDの専門家でなく、他に何か「専門」をお持ちで、片手間に行おうと思っていたFD関連の業務が、社会環境の変化や学内環境の変化よる外部からの要請(命令)によっていつの間にか(准)専門家にされたとように思います。(准)専門家になることを否定するわけでもありませんし、それが必要でない(積極的に必要であると感じています)とも思いません。ただ、現在FD関連で一所懸命努力されている先生は、FDの専門家で無く、他の専門をお持ちだということを理解していただければと思います。

 最初はFD活動についてその意義や具体的な取組などについて書かせていただこうと思っていましたが、かなり道が逸れてしまいました。どうも格調高い文章は書けない人のようです。
 最後に、FD批判の著書として有名な「大学授業の病理 FD批判」(宇佐美 寛先生著 東信社(2004.06.20))について、私ども大学で発行している「FDフォーラム」に私が書かせていただいた紹介文を再録させていただこうと思います。

「書名は過激である。内容については、表現において「過激」である部分かあるが、その中身は「ごもっとも」という場合が多い。第1章の「講義をやめよう」、第2章の「私語の病原は<講義>である」などは、一方的なお話(講話)の授業を「講義」と定義して、双方向授業が重要であるということを強調しているといえる。FD活動の中心的な取組である「学生による授業評価アンケート」については痛烈に批判しておられる。つまり、未熟な学生(授業が出来ない者)に授業を評価できる能力があるとは認めることはできないという点から、授業評価アンケートの意味無きものとばっさりと切り捨てられている。また、宇佐美先生が実践された授業についても具体的に述べられており、非常に興味深い内容が盛りだくさんな本である。FD活動を推進する者(させらている者)に対してはかなり耳に痛い内容も確かにあるが、大学で教員をしている者としては、一読の価値は充分にあると思う。ただ、書の内容を実践されようとする先生方は、まず宇佐美先生がお持ちのオーラが自分にあるかないかを問いかけ、じっくり検証してからがよいように思う。」(7関西大学 FDフォーラムVol. 14 (2007. 11.21.発行))

書かせていただいたように上記の著書にはFDを進める上で考えるべき内容が非常に含まれていますので、少しでもご興味があればお読みになることをお薦めいたします。
 
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