エッセイ
スキーと等温押出
平成19年3月1日掲載
「軽金属」第55巻3号p.153-154に掲載したものをホームページ用に動画を加えて再編集
高橋 昌也
住友軽金属工業株式会社
研究開発センター
私は平成元年に金沢大学工学部に入学し、競技スキー部に入部しました。しかし、スキー経験は高校の修学旅行のみであり、子供の頃からスキーをしている選手の足元にも及ばず、悔しい思いばかりしていました。3シーズンやって、きっぱり競技スキーをやめるつもりでいましたが、最後のシーズンが終わる直前に、スキーが簡単にできる方法を思いついたのです。それを思いついた夜は、早く試したくて眠れませんでした。その方法とは、ターンするには、曲がりたい方向と反対側に足を踏むだけでよいというものです。また、脚を傾けて板を踏むだけでよいので、数多くある体の稼動部分の内、股関節だけを意識して動かせばいいことも突き止めました。
4年生になり、塑性加工研究室に入り、指導教官には米山猛先生になって頂きました。いま思えばここがターニングポイントだったと思います。そして、卒業研究のテーマを選ぶときに、スキーの研究がしたいと米山先生に申し出ました。スキー研究に関する構想を手書きで100ページほど書いて、先生に見て頂いたところ、面白そうだからやってみろということになりました。その内容は、スキーは簡単にできるという基本となる理論を打ち立て、それを証明するためにスキーロボットを作るというものでした。しかし、当時4年生が、自分で好き勝手にテーマを決めて卒論を行うことや、塑性加工研究室の学生がロボットを作るというような前例がなかったので、工学部内の風当たりは強かったように記憶しています。
やがて、冬になり、ロボットはひとまず完成しました。アルミニウム合金製でしたが、総重量は4キロありました。一人でこっそりスキー場に実験しにいったのですが、サーボモータのトルクが不足していたことなどから、まともに滑ることができませんでした。それから、軽量化に取り組み半分の2キロ程度にすることができ、スムーズに滑れるようになりました。その結果、最後には、よくやったとほめてもらいました。現在では人間・機械工学科の研究テーマの看板のひとつとなり、米山先生、香川先生、スコット先生、後輩の学生達により、1号機からは格段に進歩したロボットになっています(図1)。また、元日本代表選手らのアドバイスも頂けるようになりました。
*画像をクリックすると動画が表示されます
図1 スキーロボット5号機(雪面滑走用)
その後、卒業して社会人となり、主に等温押出に関するテーマに取り組みました。等温押出とは、押出機のダイ出側の押出材温度を一定に保ちながら押出す方法で、押出材の強度を一定にし、かつ寸法精度、表面性状、生産性も向上できる技術です。よくよく調べてみると、このテーマは何十年間も研究され続けているが、未だに明確になっておらず、すべての押出技術者の最終目標とまで言われていることがわかりました。
しかし、数年間結果が出せず、このテーマを続けていくのは困難だと思い、テーマを終了するために、これまでのデータのまとめに入りました。そして、現場プレスのデータ表示を見ているときに、あることに気づき、その現象について確かめているときに、等温押出を簡単に実現するための基本的な考え方を思いついたのです。
それは、非常にシンプルな考え方で、早く実験で確かめたいと興奮して眠れなかったことを覚えています。実証試験をすると、狙い通りに等温押出を実現することができました。しかし、従来の常識では等温押出ができるはずのない方法でしたので、理解して頂くことが困難でした。また、押出中のダイ荷重を測定して、等温・等圧押出を証明したいと思っていました。あるとき、自分の卒業論文のアブストラクト集を何気なく見ていたら、私のスキーロボットのとなりのページに、押出加工時のダイ荷重を測定している実験が載っていました。実は米山先生の研究テーマの一つだったのです。さっそく、共同研究を申し込み、実機プレスの荷重測定に取り組み、発表できるまでに漕ぎ着けました。
押出の国際会議ET2004では最優秀論文賞として評価されました。さらに、軽金属学会でも奨励賞を頂きました。
現在、押出の仕事も、競技スキーも続けています。あの二つの閃きがなければ、両方とも今は続けていなかったと思います。スキーと押出の研究テーマに取り組むことにより、刺激を受けることができる多くの人々と知り合う事ができました。また、いいアイデアを思いついても、人に理解して頂いたり、実際に実現するよう行動することの大変さを思い知らされました。これからも閃きに出会うのを楽しみにしつつ、頑張っていきたいと思います。