一般社団法人 軽金属学会

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エッセイ

研究は廻る

平成15年9月1日掲載

里 達雄

東京工業大学大学院理工学研究科

 

 我々の日常生活は様々な偶然によって展開されることが多い。じっくり物事を調査し、計画を立て、実行しようとするとき、ちょっとした偶然によって思わぬ展開が起こることはよく経験する。望ましい方向に展開することもあれば、その逆の場合もある。だから計画なんていい加減でいいんだということではなく、あまり思い詰めて悩むことはないということだと思っている。
 材料技術のブレークスルーにおいてもこのようなことはよくある。2000年にノーベル化学賞を受賞された白川英樹先生の受賞対象は、「導電性ポリマーの発見と開発」であるが、これは当時、勤務されていた東京工業大学でポリアセチレンの合成実験中に、触媒の添加量を1ミリモル/リットルとするところを誤って1モル/リットルとしてしまったため、従来にない画期的な導電性ポリマーが発見されたのである。このようなことはセレンディピティと呼ばれ、科学上の大きな発明・発見が偶然や勘違いを発端に行われたことが多いことはよく知られている。
 アルミニウム合金の強化法として今ではよく知られている時効硬化現象の発見もエピソードが残されている。ドイツ理工学中央研究所においてWilmはAl-Cu-Mg合金(現在、ジュラルミンとして知られている合金)を作り、焼入れをしては硬さを測る実験を繰り返していた。1906年の9月のある土曜日に試料を焼入れし、硬さ測定を午後1時ごろまで行って後放置し、翌々日の月曜日に硬さを測ったところ、異常に高い値を見てびっくりした。これが時効硬化現象の発見の瞬間である。Wilmが週末に湖上でヨットのセーリングを楽しんでいるとき、重大な発見の女神が研究室に滑り込んできたのである。”Something of importance had sailed into his laboratory while he was sailing on the lake.” 時効硬化の理由については長い間不明であったが、奇遇にも1938年、フランスのGuinierとイギリスのPrestonが別個に溶質原子の集合体、すなわち、今でいうGPゾーンの存在をX線散漫散乱を用いて発見した。そう言えば、アルミニウムの電解精錬においても基本技術であるホール・エルー法の発明者、ホールとエルーも異なる国(アメリカ、フランス)で、同じ年齢で同時期に発明したものであり、エピソードとして知られている。
 GPゾーンはその後多くのアルミニウム合金をはじめとして、銅合金や鉄合金でも見出されている。1996年、フランスのグルノーブルで開催された第5回アルミニウム合金国際会議(ICAA5)でGuinier先生が特別講演をされた。年齢は80歳を超えておられたと思う。Guinier先生は私どもにも気軽に話しかけられ、近年の研究の発端を作られたことを思い、感慨深いものがあった。また、2002年にイギリスのケンブリッジで開催されたICAA8には時効硬化で多大の業績を残されたSilcock先生にも会うことができた(写真)。エピソードとなる発明発見は偶然のみではなく、そこには必然もあったことを忘れてはならない。

 大学の卒業研究として高橋恒夫先生(東京工業大学名誉教授)の研究室に配属され、卒論テーマとして「Al-Cu合金の時効現象とSn添加の影響」を与えられた。あみだくじで当たったテーマである。テーマの面白さも重要性も当時は認識しないまま偶然のチャンスで選んだテーマであった。その頃、軽金属学会の講演発表会では時効析出に関してわくわくするほどの白熱した議論が行われていたことを思い出す。当時の関心事としては①GP(1)とGP(2)ゾーンの区別、②Snなどの微量添加元素による時効挙動への影響、③準安定溶解度線の決定、などであった。この他に二段時効現象の解析や機構について種々の提案が行われていた。溶質原子や原子空孔と関連づけて二段時効挙動を説明するモデルである。また、二段時効との関連で結晶粒界近傍の無析出帯(PFZ)に関する研究も盛んに行われた。卒研当時、焼入れて室温に放置したAl-Cu-Mg合金がどんどん硬くなり、また、電気比抵抗も急速に上昇するのは一体何故だろうと考えていた。合金を外部から見ても何も分からないのである。当初は、土なども水を加えて軟らかくしたものを室温に放置すると硬くなるし、コンクリートもどろどろ状態で流し込んで放置すると硬くなるのだから、合金も室温放置で硬くなるのは当たり前のことぐらいに考えていた。しかし、土やコンクリートのように水分が消えるわけではないので、よく考えるときわめて不思議だと気付いたものである。
 高橋恒夫先生や小島 陽先生(現在、長岡技術科学大学)にX線や電子顕微鏡で試料を調べて見ろ、と言われ、試料作りに苦労したことを思い出す。X線ラウエ写真やX線小角散乱実験に使う単結晶試料をひずみ焼鈍法で作製するのだが、狙い目の結晶面をもち、ある程度以上の大きさの単結晶をひずみ焼鈍法で粗大化した試料から効率的に選び出す必要があった。来る日も来る日も単結晶選びを繰り返し、そのうちに、エッチングした試料の反射の具合や反射の角度から面方位が分かるコツを体得した。この「ワザ」は、当時始まったばかりの高分解能電顕用試料の作製にも生かされた。高分解能透過電顕は名古屋大学の美濱和弘先生(故人)の研究室に出向いてお願いしていた。当時、電顕の試料ステージは傾斜することができなかったため、特定の方位から試料を観察しようとするとその方位の試料を初めから用意する必要があった。そこで、X線の場合と同じようにひずみ焼鈍法で結晶粒をある程度大きくし、その中から狙い目の方位を選び出し、電解研摩で薄膜を作製したものである。この努力は実を結び、高分解能電顕によるGPゾーンの観察として世界はじめての成果を得ることができた。
 近年、GPゾーンの形態や構造・組成に関する研究は飛躍的に進展した。ひとつには、装置の飛躍的な発達に負うところが大きい。たとえば、超高分解能電顕による原子配列の直視観察、極微小領域の組成分析、構成原子を1個づつ分析できるアトムプローブ装置、陽電子寿命測定による原子空孔の解析などが実現している。もうひとつは、計算科学の発展も大きく寄与している。多元系状態図の計算、構造変化の計算機シミュレーション、原子間相互作用パラメータの第一原理計算などである。この分野はコンピュータの発展に伴い、今後飛躍的に進展するであろう。
 30数年前に流行っていた研究テーマは装いを新たにして廻ってきた。「ナノテクノロジー」のプロジェクトとしてナノメタル技術開発が進んでいる。アルミニウムでは「ナノアルミ」としてナノ組織を制御し、高強度・高延性・高成形性合金を開発し、自動車ボディシート材をはじめ、各種輸送機・車両の構造材料、電気・電子機器筐体材料などへ積極的に適用を図っていくことになっている。組織制御のポイントは30数年前に着想されていた。粒内析出制御、粒界近傍の無析出帯(PFZ)の制御などである。しかしながら、30数年前と大きく異なるのは組織解析・制御のスケールがナノメートル(nm)オーダーになっていることである。とりわけ、従来、全くの未解明であったGPゾーンの前段階におけるナノクラスタの存在を実証し、これを制御し、新規のナノ組織を実現する手法を構築することが大きなターゲットとなっている。研究は廻り、また、新たな着想が盛り込まれ、新しいブレークスルーが期待される。

 奄美・沖縄の言葉、唄、食べ物・飲み物が静かなブームになっている。奄美・沖縄は琉球弧とも道之島とも呼ばれてきた島々で、九州の南に位置している。遙か南の文化が黒潮に乗ってこの島々を伝わって来たと言われ、民俗学者の柳田国男は伊良湖崎に漂着したヤシの実を見つけ、日本民族の祖先が遙か南方から島伝いに北上したとする「海上の道」を著している。余談になるが、この「海上の道」の話を島崎藤村は柳田国男から聞き、有名な「椰子の実」の歌を作ったと言われる。「名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ・・・」である。筆者は、道之島の一つの徳之島で生まれた。小さい頃、日常生活の中に様々な唄、いわゆる「シマウタ」があった。シマウタは子供心にも、歓び、哀しみ、情熱など様々な感情を抱かせたものである。独特のシマグチしかり、焼酎、食べ物しかりである。シマウタ、シマグチの「シマ」は実は「島」ではなく、「集落」を指している。集落ごとに様々に異なる唄や言葉、慣習などがある。奄美は昭和28年12月25日に日本に復帰した。クリスマス・プレゼントだと言われたものである。今年は復帰50周年となる。奄美・沖縄の唄が廻り来てブームとなるのにはいろんなことが考えられる。復帰50周年のタイミングもあるかも知れない。しかしながら、島内の人たちだけでなく、島以外の人たちからも関心が寄せられている。シマウタはシマグチで唄われ、島の焼酎、料理を共にしながら唄われたものであり、苦しい労働や生活を癒すための生活に密着した唄であることが大きな理由ではなかろうか。そのようなリズムや音が時代を越えて廻ってきたのに違いない。

 とりとめのないことを書いてしまったが、科学技術の研究も生活文化も人間の関わることには廻り廻ることが多いのではないか。そして、廻り廻ってきた時代に応じて様々な味つけが新たに付加され、動いていくのであろう。人間、なかなか一直線ではないということを言いたかっただけである。

 
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