チタンの歴史
1.過去の歴史を築く
1.1 チタンの起源
地球上で、チタンは酸素との結合力が強いことから、自然界には主としてTiO2(ルチル)の形態をとって存在しています。ルチルという名は、初めて聞く人が多いと思いますが、生活には馴染みの深い材料で、白色顔料の原料として使用されています。チタンの名前の由来は、1795年にドイツのクラプロート(M.H.Klaproth)が、ハンガリー産の鉱石が、それまでに知られてない金属酸化物からできていることを発見し、その金属にギリシャ神話の「タイタン」にちなんで「チタン」と命名しました。これがチタンの発見ですが、金属でなくその酸化物に名付けられています。その酸化物から金属を得るまでに100年に近い年月が必要でした。
1910年にアメリカの化学者H.A.ハンター(Hunter)が四塩化チタン(TiCl4)をナトリウムで還元する「ナトリウム還元法」を発明し、1937年にルクセンブルクの冶金(や金)学者のW.J.クロール(Kroll)が、四塩化チタン(TiCl4)をマグネシウムで還元する「マグネシウム還元法」を発明しています(生産操業が始まったのは、1944年からです)。現在は、クロールが発明した「マグネシウム還元法」が主流となっています。チタンは、鉄やアルミニウムのようにそれらの酸化物を直接還元することはできず、ルチル(TiO2)を塩素と炭素で反応させ、液体の四塩化チタン(TiCl4)を製造し、それをマグネシウムで還元して、金属のチタンをスポンジ状で得ています(スポンジチタンと呼んでいます)。使用した塩素とマグネシウムは、反応で生成する塩化マグネシウム(MgCl2)を電気分解することでリサイクルできるという「優れもの」の方法です。
1.2 日本でのチタンの始まりと工業化
日本では、1952年にスポンジチタン製造の国産化に成功し、1954年にその展伸材(板など)の工業生産が始まりました。日本での、チタンの年齢は58歳で、まだまだ元気な金属です。日本ではいろいろな経緯で、純チタンの製造とその応用からはじまり、その領域で世界をリードするまでに発展しました。さらに、現在は優秀なチタン合金を多く開発し、この領域でもトップクラスに位置しています。特に、医療分野で身体に移植する金属材料として、積極的に研究され、多くの合金が開発されています。